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戦争とクック諸島 太平洋の小さな国家から平和を願う


第一次世界大戦には、クック諸島からは500人の志願兵たちがANZAC軍入隊し、

船でニュージーランドに向かいました。

当時のクック諸島の人口は分からないけれど、現在は20,000人強余り。

だから、国の人口の1/4?ぐらいの人数が自分たちの意思で、志願して海を渡ったということになると思います。

初めて経験する冬を裸足で過ごす、、、異なる生活環境と食べ物。

言葉も通じない、そして島にはない大陸の病気等と戦いながら厳しい軍のトレーニングが行なわれたということです。

その時の太平洋諸国からの志願兵たちの活躍は今でも、

ニュージーランド側にも良きパシフィックの隣人として英雄伝説ように語り継がれています。

そんなクック諸島の人々も厳しいニュージーランドの環境に耐えながら、

船でエジプトに渡り、その後は様々なルートでアフリカ、ヨーロッパ、中東に散らばり

戦争に参戦していったということです。

多くの人が再び島の地を踏むことはなく、遠い異国で亡くなったということです。

幸いに、第一次世界大戦、第二次世界大戦共に、

クック諸島の領土内は戦争の舞台となることはなく、国内は平和な状態が続き、今に至ります。

実は、私は以前でトルコに住んでいました。

戦争に勝利した英雄、トルコの建国の父として国のヒーローであるアタトゥルク(オスマン帝国の名指揮官ムスタファ・ケマル・アタテュルク)。

そのアタトゥルク氏の栄光を讃えるセレモニー、パレード等も見たことを思い出しました。

チャナッカレの戦い(ガリポリの戦い)もそういえば、何度も耳にしていました。

アタトゥルクの肖像画、そして赤に白の星と星の国家もよく目に焼きついています。

「トルコの国旗の赤は、勝利した戦争で海が赤に染まったから。そしてその時空に登っていた月と星」を意味するんだよ、

と、トルコの国旗の由来を教えてもらったことをふと思い出しました。

以前はあまり深く考えなかった歴史。

日本は直接には関わっていないけれど、多くの人が尊い命を失った102年前に起こった大きな戦い。

距離的には遠く離れたトルコとクック諸島。

しかし、私自身が住んだことのあるこの2カ国の歴史的な悲しい繋がりを感じ、

更に身近に感じたANZAC DAY。

そして改めて世界平和を願う日となりました。

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