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アイツタキ空港の知られざるヒストリー 開港79年

2021年11月14日は、アイツタキ空港の開港79周年記念の日です。


現在では、クック諸島の空の玄関はラロトンガ空港。

アイツタキへは国内線エアーラロトンガにて45分のフライトです。


遡る事、1942年8月。

第2次世界大戦真っ最中。

アメリカのエンジニアリング会社とニュージーランドの協力で

アイツタキ地元の人々の労働を加えて、着工しました。

その目的は、太平洋を南下してくる日本軍への備え。

南太平洋の基地として、アメリカ軍飛行機が着陸できるようにと選ばれたのは、

アイツタキ島、ペンリン島、ボラボラ島、クリスマス島、など。


右手奥、本島に滑走路が見えますね。


アイツタキ島に爆撃機が到着したのは1942年11月22日のこと。

それから、約1年、800人あまりのアメリカ軍人が留まり、

日本軍の南下ペースが収まったと判断し、

軍人たちはガダルカナルやタラワへと移動していったということです。


1946年頃まで12名の軍人を置き、空港を管理していたということですが、

その間に奥の有名人たちが美しいアイツタキ島を訪問したということです。

First Lady Eleanor Roosevelt on the 22 August 1943

actors Gary Cooper, Una Merkel, Phyllis Brooks

acordianist Andy Arcari

author James Michener

New Zealand Prime Minister at the time Peter Fraser


珊瑚を固めて作られた滑走路は東西、南北と2本。

どんな風向きの時でも発着陸出来るようにと。

そして、8つの大きな砂の山が飛行機を隠すために滑走路脇に盛り上げられたということです。


2003年にやっとアスファルトが敷かれました。


戦後、Polynesian Airlinesが週1のフライトで結び、

その後、1973年にCook Islands Airwaysが就航(現在はこの会社はない)、

1978年にAir Rarotongaが就航しアイツタキ島へのアクセスが格段によくなりました。


Air Rarotongaの機体は小さな34人乗り、もしくは14人乗りのプロペラ機ですが、元気に安全に飛び続け、

コロナウィルス以前は、年間に約4万人の観光客が美しいアイツタキ島のラグーンを一目見るために

訪れていたということです。


以下写真は、開港セレモニーの写真。

ダンサーたちの衣装が歴史を感じさせてくれます。


Happy Anniversary!



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